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マダガスカルはどんな国
 朝日に映えるバオバブ
木の根っこが天空にそびえる形のバオバブは直径3〜4m、高さ20数m、樹齢1000年〜2000年の巨木だ。
アフリカ大陸から分離したとされるマダガスカルだが猛獣やガゼル類はなぜか居ない。
西側は熱帯乾燥地帯でとても暑い気候、雨が少ないが東側は熱帯雨林で沢山の雨が降り密林が連なる。
■ 国名と首都
正式国名はマダガスカル共和国 (Republic of Madagascar)。首都はアンタナナリボで海抜約1300mの内陸高地のため快適な気候。

■ 地理
アフリカ大陸からおよそ400Kmの距離にあり、世界で4番目に大きい島。島の幅は最大でも580kmとさほど広くはないが、長さが1,580kmもある。総面積は、日本の約1.6倍。

■ 時差
日本より6時間遅れ。

■ 人口
約1,500万人。

■ 言語
マダガスカル語とフランス語。英語は都市や観光地で使われる程度。

■ 気候
マダガスカルは東西に分けて大きく気候が異なる。アフリカ大陸に近い西側は熱帯乾燥地帯で一般的にとても暑く乾燥している。インド洋側に面した東側は熱帯雨林で年間4000ミリもの降雨量があり密林が北から南まで続く。

■ 日本からのアクセス
日本からはバンコック経由でアンタナナリボにはいるのが一番便利。バンコックーアンタナナリボ間は週2便のマダガスカル航空が運行されている。

■ 国内交通網
国内の移動は陸路の道路の整備が遅れているため外国人は殆どが国内航空路線を利用する。海岸線の道は殆ど利用できないため、別の地域に行く場合には一端首都のアンタナナリボに帰る必要がある。また国内線も毎日1便程度しかないので乗り継ぎなどで時間を費やし、複数の場所を訪問する場合には日数が掛かる。

■ こんな国です
アジアにルーツがあるとされるマダガスカル人は、今もアフリカとアジアが融合した独特の文化を大切にしている。
昔の日本の田舎の農業を思い出す風景が全国で見られアジア的な風景を堪能できる。
バオバブの木や原猿類アイアイなど、世界でもマダガスカルでしか見る事の出来ないとても稀な動植物が生息することでも有名。
 

2000年9月 不思議の国”マダガスカル”の撮影旅行をしました。今回の主な目的はキツネザルで独特な格好と行動をするものが多くとても楽しいものでした。撮影できたキツネザルはワオキツネザル、シファカ、イタチキツネザル、ネズミキツネザル、そしてエリマキキツネザルでしたが、その他にもザトウクジラやカメレオンそして奇妙な形の巨木 バオバブも撮影してきました。意外にも住民の生活はアジア的で特に農村部では日本の農村にとてもよく似た光景をたくさん見ることが出来ました。

2000年12月5日から25日まで 不思議の国”マダガスカル”に再度の撮影旅行をしました。今回の主な目的は9月の時点で生まれたばかりだったワオキツネザル、シファカの子供達が少し可愛くなった頃を撮影するためと、前回撮影できなかった熱帯雨林に済むインドリインドリを撮影すること、


そして最後の1週間をとてつもなく大変な野生のアイアイの撮影にチャレンジすることだった。
ワオキツネザル、シファカ、インドリインドリの子供や親子はとても順調に撮影できた。最後の超難関のアイアイの撮影は首都アンタナナリボから飛行機を乗り継ぎ3時間。
やっと付いた海岸の町のロッジに拠点を置き、通訳、ガイド、コック、運搬係と私との5人が1週間、雨期の熱帯雨林のジャングルの無人島にアイアイ取材のためにキャンプを設営した。
昼夜に渡って探せど、探せどアイアイには会うことは出来なかった。半ば諦めた最後の日、ガイドが島の山の中腹の大木にアイアイの巣があり、「木をたたいたらアイアイが出てきた」と、お昼過ぎに息を切らして報告してきた。最後のチャンスに掛けた。キャンプを夕方5時に出てその場所まで重たい撮影機材を担ぎ上げ、暗くなるのを待った。

アイアイ6時半アイアイは巣穴から出てきて行動開始前の毛づくろいを始めた。
最初の1枚目のシャッターを切るとき胸は高鳴った。
約30分間、私のカメラの前でアイアイは恐れることもなく、くつろいで寝起きの身支度をしてくれた。
雨期の熱帯雨林、夜のジャングルと最悪の条件下で超高性能カメラ、キャノンEOS-1VとEF 500mm F4 ISレンズは、その生態を確実にとらえてくれた。
 

2001年5月28日から7月2日かけて3度目のマダガスカル取材を行った。この時期マダガスカルは冬の時期に当たり、比較的涼しい状況であったが、雨の多い時期でもあり密林での撮影は困難を極めた。人が歩いたこともない藪を一脚に超望遠レンズをつけ、レムールを求めて海岸淵から海抜1000メートルもある尾根まで歩き回った。

ヒルやダニ、蚊にも悩まされた。一番ショックであったのは雨上がりのジャングルの中でアカエリマキキツネザルを撮影中、ぬかるんだ足元が滑り転んでカメラとCanon EF500mm F4L ISを落として壊してしまい、またいつもポケットに入れていて全ての予定表やメモ、取材記録が入ったSONY CLIE(ポケットコンピュータ)も割れてしまい使えなくなったことだ。前半でのこの事故は後々まで不自由な思いをさせられた。 今回、熱帯雨林に棲むゴールデンバンブーレムール、アカエリマキキツネザルを主目標とした。しかしこの為だけに約2週間を費やしたがその割には成果は厳しかった。(写真左:海岸の小屋にテントを張り毎日壮大な裏山にアカエリマキキツネザルを求めて歩いたマソアラ半島の山。ガイドとキツネザルを求めて森の中を歩くガイドと私)

誰も居ないキャンプ場で一人キャンプをするコカレルシファカ またマダガスカル西部の素晴らしい熱帯乾燥林を始めて取材し、そこに棲むコカレルシファカや沢山のレムール類を撮影できた。
今回撮影出来たキツネザルの仲間は、シファカ、ワオキツネザルブラウンレムール、ゴールデンバンブーレムール、グレーターバンブーレムール、ミルネーエドワードシファカ、コカレルシファカ、エリマキキツネザル、アカエリマキキツネザル、バンブーレムール、マウスレムール、スポーティブレムール、アバヒ、そして前回苦労したアイアイが今回は意外と楽に撮影する事が出来た。
(テント生活をしながらの撮影と私のカメラの前でポーズのコカレルシファカ)

ネズミキツネザル特に心に残っている光景は、ネズミキツネザルだ。
夜行性のため普通は昼間に見かけることはきわめて難しいが、私がオオコノハズクの撮影をしているところにガイドが走って来て、『ネズミキツネザルが騒いでいるので来い』と言うのである。渋々とついて行くと一匹のネズミキツネザル(体長12〜13センチくらい)がある一点を中心として騒ぎまくっているのである。
何事かと見ていたらその中心部に2メートルもありそうな大きなヘビが一匹のネズミキツネザルを口にくわえているではないか。
カップルのネズミキツネザルが寝ているところをヘビに襲われたのだ。残された一匹が自分の連れをヘビから救い出そうとしているのだが、かなう相手ではなかった。
その光景はおよそ30分間続いた。時間と共に捕まったネズミキツネザルはヘビの体の中へと消えていった。
残された一匹のネズミキツネザルは暫くすると騒がなくなった。それどころか枝の上で放心状態となり、私がカメラを近づけても動く元気も気配もなかった。
長年連れ添った相棒が目の前で死んでいく時、人間も、どんな小さな動物たちでもその悲しさは同じであろう。
私は何も助けて上げられない事を悲しみ、”がんばれよ”と心で励ましながらその場を去った。


シファカのジャンプ2001年11月13日から27日までこの一年で4回目のマダガスカルの取材をした。今回はベローシファカだけに絞りマダガスカルの最南端の陸の孤島の小さな保護区 ベレンティーで10日間を撮影に当てた。

とにかく暑い日々であった。毎日40度を超える暑さに動物たちも昼間は動けない。ベローシファカは7月頃出産し11月から12月に駆けて子供達が独り立ちを始める時期である。独り立ちをしようとする子供達のジャンプの練習が何とも可愛くて今回の撮影を行うことにした。

しかし林の中の暗い場所で見られるジャンプの撮影はなかなか思うような結果が出ない。おまけにブッシュの中で撮影ポイントを確保しようとした時に蜂の巣を直接左手で触ったため手を6カ所も蜂に刺されてしまった。左手はおよそ倍に腫れあがり激痛とかゆみで撮影どころではなかった。腫れ上がった左手で翌日も撮影を行った。古木の洞穴にフクロウが入っていくのをたまたま見つけてしまった。古木の下で待てど暮らせど出てこないので業を煮やして古木をゴシゴシと擦ったところ、またまたそこに蜂の巣があり今度は右手をこれでもかと刺されてしまった。激痛にカメラを放り出し毒を吸い出そうとしたが一気に右手も腫れていった。色々とハプニングだらけでなかなかいい結果が出せなかった今回のマダガスカル取材であった。
 

ディアディムシファカ2003年9月4日から10月2日までのおよそ一ヶ月間にわたって、マダガスカルの取材旅行を実施した。今回で5回目になるこの取材はマダガスカルの東西南北を飛び回る広範囲の移動となった。今回の主たる目的は原猿類の中のシファカの撮影であった。シファカはマダガスカルで見られる原猿類の中で大型の部類に属し11種類のシファカが生息する。
これまでに撮影しているシファカはベローシファカ、コカレルシファカ、ゴールデンバンブーシファカ、○○シファカの4種類を撮影できていたが、新たにクラウンシファカ、ディアディムシファカを撮影することが出来た。特にディアディムシファカは金色に輝く手足の素晴らしい毛並みと、とてもかわいい顔は私を虜にさせた。引き続き残りの種類のシファカの撮影にも挑戦していきたい。
また、マダガスカルで有名な原猿 アイアイの撮影も実施した。今回はアイアイの子供が生まれている巣を探し当てたが、子供が小さすぎて親が外に連れて出てこなかったため親子のアイアイは撮影することは出来なかった。しかし連夜アイアイの撮影が出来たことはとてもラッキーであった。


2005年9月23日、この1年間で3回目となるマダガスカルの取材に出かけた。アフリカ撮影ツアーから帰ったばかりであったため、僅かな時間の間に旅行の手配と現地の友人が経営する旅行会社に連絡を入れ私の希望の日程と訪問したい場所を指定した。慌ただしくも準備は進み、出発当日成田空港から乗り継ぎ地のバンコックに向けて空港でチェックインを行おうとしたところ、早速ハプニングは起きた。
いつもならちゃんと手配しているはずのビザを取っていなかったのだ。バタバタしていてすっかり忘れていた。カウンターのお姉さんには『マダガスカルの空港で取りますから大丈夫です』と、さりげなく言っては見たものの、マダガスカルの空港で簡単に取れるものかどうか心配で、知り合いの旅行会社に電話をしても祝日で休業のため誰も電話の応答がなく、情報を得ることが出来ない。およそ20年前、中国での仕事をしているときに、緊急の中国往復などでビザをとっる時間がないためビザ無しの行き来を何度かしていた経験もあり、まあ何とかなるだろうと腹を決めた。
念のためにと、顔写真だけは準備しておこうと空港内を調べたところ、簡易の写真を撮ることが出来る機械が備え付けられていた。写真さえあれば何とかなるだろうと自分に言い聞かせてイミグレーションを通過した。

中継地のバンコックには夜の9時過ぎに到着した。バンコックからマダガスカルの首都アンタナナリボまで行く飛行機の出発時間は夜中の1時半。約4時間の時間待ちだが以前と比べると3時間近く短縮されたため4時間でも楽に感じる。出発時間の2時間前にチェックインが行われ、ここでもビザは現地の空港で取ることを告げるとそのままチェックインしてくれた。
バンコックから約9時間の飛行の後、早朝のアンタナナリボの空港に着いた。

アンタナナリボの空港で早速イミグレーションの通過が待っていた。空港の係員にビザの申請はどうしたらいいのか聞いたところ、申請用紙など何もなくパスポートにUS$16ドル分の印紙を購入し貼り付けたものと一般の入国カードで何事もなく入国出来ることが分かった。こんな事なら日本であらかじめビザを取るよりはずっと簡単で安いため、次回からもまた同じ手法で来ることにしようと思った。

無事マダガスカルに入国し、内心心配をしていた荷物も無事受け取り、外に出るとポーター達が寄ってたかって来るのを振り切り、友人の姿を探すが見つからない。
携帯電話で友人を呼ぶと、空港に向かっているところであと30分位かかるとの事。その間の現地通貨に両替をしておくことにした。両替のレートはUS$1が1990アリアリでまたマダガスカル通過が下がっていた。

暫く待っていると旅行会社の友人が空港にやってきた。これから私がマダガスカルを一人で歩くための空港券やホテルの予約券を全て受け取り、その支払いを済ませ、いよいよ私の撮影旅行が始まる。ちなみにマダガスカル国内の物価はとても安いが旅行会社は全てドル建てで請求してくるためマダガスカルの旅行は決して安くない。

最初の訪問地は北部のノシベという島だ。ノシベとはNosi(島)Be(大きい)で大きな島を意味するマダガスカルでは有名な観光避暑地でヨーロッパ人特にフランス人はこの島でのんびりと過ごす旅行をする事が多いが、日本人には向かない感じがする。私はここでノンビリと避暑を楽しむために来たわけではない。ここには原猿類の中でも真っ黒な色をしたブラックレムールが見られる事でも有名で、これまでなかなか足が向かなかったが、私の撮影写真の中にどうしてもブラックレムールの写真が必要なため訪問することにした訳だ。

お昼前にノシベに到着したが、その日は時間的に何も出来ないため海辺のホテルでノンビリすることにした。普段でもあまりノンビリ過ごすことのない私には、なかなか苦痛の時間で快適な気温と海風は私の好きなビールを何本も与えてくれた。

イランギ
香水の香料を取るイランギの木は奇妙な形をしている

翌日、早朝に迎えの車が来て私を小さな村まで連れて行ってくれた。

途中の道ばたの農園で奇妙な形をした木が沢山植えられているのを見つけ、フランス語の分からない私が英語の分からないドライバーに尋ねたところYlang Ylang(イランギランギ)という木で、成長する課程で幹を切断することで枝が奇妙に横に張るのだという。その枝には黄色の花が咲きその花の香りが好まれてイランギイランギの香水の原料を取るのだと教えてくれた。

4人乗りのカヌーに乗り込む観光客

小さな海岸の村に着くと数人の外国人が集まっていた。私と同じ所に行く人たちだ。

Lokobeという野生動物の保護区に行くのだが、どのようにして行くのか分からなかった。暫くして全員手こぎのカヌーに乗るように指示された。私もカメラを担ぎ、幅の狭い4人乗りのカヌーに南アフリカから来たというカップルと一緒に乗った。
炎天下カヌーを漕ぎ出したが果たしてどこまで行くのか分からなかった。かなり向こうに見える岬の辺りを指さして聞いたら、そのもう一つ向こうの岬までだという。
とてつもなく遠くに感じた。4人でカヌーを漕ぎながら約1時間が経った頃、はるか向こうの浜辺に村が見えた。あそこだと現地人の案内人が私に教えてくれたが、まだまだ気が遠くなるような感じがした。
Lokobe野生動物保護区は灌木の生える森で動物たちには十分な森ではなかった

やっと浜辺に上がり一休みのあとLokobe保護区に入ることとなった。中学生くらいの若い男の子がガイドをするというので大丈夫なのか不安になったがどうしようもない。その子に従って6〜7人の観光客が後に続いた。
一般的に動物の保護区という場所は豊かな森があることが殆どだが、このLokobe保護区にはそうした森は見あたらない。灌木の間に僅かに大きな木が点在する程度で、これではたいした動物は暮らせないだろうなと直感した。案の定目的のブラックレムールは、ほんの数頭が藪の中にいるところを確認できた程度で最悪の状態だった。おまけに私が一番嫌いで怖いヘビが沢山いるのには死ぬ思いであった。


森の中では大蛇 ボアが何匹も私の前に現れヘビ恐怖症の私を震え上がらせた。

半端の大きさではない大蛇ボアが約2時間の間に7匹が通り道の近くで見つかった。私以外のメンバーは近くで珍しそうに見たり写真を撮っていたが、私はそれが目に入らないように手のひらで目をガードし、遠巻きに逃げるように通過した。しかし、またその先でも別のヘビが待ちかまえており、これまでの旅の中で最悪の怖い思いをした。
最後に木に巻き付いた大きなボアをガイドが見つけた。これだけは写真に撮っておこうと勇気を振り絞って数枚撮影し、逃げるように立ち去った。

数匹のブラックレムールの他にイタチキツネザルの親子を見ただけで散々たる結果であった。
森を出て海岸で現地人の人たちが作った昼食を頂いた。この時点で20〜30人の観光客がいることが分かった。みんな和気藹々と話をしたがフランス人だけは英語をしゃべる連中に近づこうとしない。

8隻のカヌーで帰路を競った

午後3時過ぎ、潮が引いた浜辺でまたカヌーに乗り込んだ。今度は8隻になっていた。
別の船の一人が大声で、これから村に帰るまで競争しようと言い出した。これには参った。1時間以上でおまけに引き潮であったため行く時よりも海岸線が遠く、より時間が掛かるのだ。

それでも8隻のカヌーは全員が力を出して競争し、行きよりは短い時間で村まで帰った。
写真的な成果がない上に体力だけは大量に消費した一日となった。

翌日、最後の望みを掛けノシコンバ(Nosi Komba)と言う島に行ってみた。村人の近くで動物園のような環境に数匹のブラックレムールがいたが写真を撮る気にはなれなかった。

ワオキツネザルの親子
ワオキツネザルの親子
ワオキツネザルの親子 

9月27日、殆ど成果のないまま、首都のアンタナナリボに戻り空港近くのお気に入りのホテル SIFAKA Lodgeにチェックイン。ここは私の好きなSIFAKAの名の付くホテルで、小ぎれいな上、こじんまりとした家庭的なホテルでとても気に入っている。早速現地の二人の友人がやってきてビールを飲みながら散々な旅を語り合った。

9月28日、朝6時20分のフライトに合わせ5時過ぎに旅行会社の友人がホテルに迎えに来てくれた。
第2の訪問地でマダガスカルの中で一番のお気に入りの場所、ベレンティー(Berenty)への移動だ。これまでこんな早い時間のフライトはなかったが、この時間帯なら時間を有効に使えるようになった。ツゥリアラ経由で午前8時半過ぎには最南端の町、フォートドーファン(Fort Dauphin)に到着。空港ではいつもお世話になる関係者が待ち受けていてくれてスムーズな処理に感謝。


ここから4輪駆動の車で約2時間半走ったところにベレンティー保護区がある。

ベレンティー保護区はフランス人の入植者がこの地域一帯を開発し広大なサイザール麻農場を開拓するとき、ワオキツネザルやシファカが生息する僅かな森を残し保護区とした場所で、小さいながらレムール達の楽園でもある。


保護区に到着したら顔見知りのスタッフ達と再会を喜び、コテージに入って撮影の準備を始めた。
まもなく京都大学の博士課程でワオキツネザルを長年研究中の相馬貴代さんが、私の到着をかぎつけて訪ねてきてくれた。
相馬さんとは2回目の訪問の時からの知り合いで、彼女は長期間ここに滞在し、ワオキツネザルの研究をしているスペシャリストで、原住民からも絶大な信用を受けている。

現地の友人達から歓迎される浅尾省五
京都大学の研究者 相馬貴代さん、現地研究者、原住民達が私を歓迎してランチパーティーを開いてくれた。

丁度昼食の時間帯に午後の撮影の準備をしていたらイギリスの有名な霊長類学者のアリソンジョリー博士夫妻とばったりと出会った。
到着前の情報では既に帰国された後だと言うことで、ガッカリしていたが、まだ滞在されていたので嬉しかった。アリソンさんとは最初の訪問の時からの出会いでベレンティーのことなどについて色々と教わってきた。
彼女は42年間もこの地を訪れ原猿類の研究をしてこられた原猿類の研究では世界的に第一人者だ。

ベローシファカ
ベローシファカ 
横飛びするシファカはベレンティー保護区の人気者

一年ぶりのベレンティー保護区は前回来たときよりも森の雰囲気が変わっていることに気がついた。
今年3月の大雨で、そばを流れるマンダレ川の水があふれ、ベレンティーの森が水没した事による変化と、このベレンティーの森を保護区として来た過程で外来種の樹木を植えたため森の植生が変わり、その外来植物の葉を食べる原猿類、特にワオキツネザルの皮膚がとてもひどい状態になり数年前から研究者達がその原因を調査してきた。
その結果、ギンネムの木が原因と突き止め、それらを伐採し始めているため森がひどく荒れてきているように見える。
このギンネムの木はワオキツネザルたちにとって好みの食物の葉で、薬草でもあるのだが取りすぎると毒と化す事が知られている。

人間でたとえるなら、ガンになった人に抗ガン剤を与えガンの進行を抑えるが、その影響で髪の毛が抜けて行くことがよく知られる事実である。ベレンティーのギンネムを大量に食べたワオキツネザルたちの毛が抜け、みすぼらしい格好となっていた2〜3年前の状態は、まさにこれと同じ事であったとアリソン博士は私に説明してくれた。

森が荒れた感じになるほどギンネムの木が伐採されているため、ワオキツネザルの毛は、このところとても綺麗になり本来の姿に戻ってきていることは好ましい。人間の手で自然を操作すると、いろんな弊害が起こることを如実に示してくれたいい例でもある。

ベローシファカの集団ジャンプ
ベローシファカの集団ジャンプ
シファカの群れが村の道を跳ねていく姿はとてもユーモラスだ

 
ベレンティーの森はシファカとワオキツネザルの楽園だ

4日間のベレンティー保護区滞在中の撮影状況はまずまずと言ったところであったが、これと言った傑作は生まれては来なかった。

メインテーマのシファカは、通常7月に出産し、この時期はかなり大きくなり、そろそろジャンプの練習が始まることを期待していたが、地球規模の天候異変のせいか、子供が思ったよりずっと小さく、まだまだジャンプの練習出来る状態ではなかった。

森の中に座り込みシファカを撮影していると、私に興味を示し、すぐ近くに来てシファカ達が私を観察し始める。

1m以内の距離に来ることもしばしばで、私が指先を伸ばし動かしていると、寄ってきて私の指をそっと握ってくれる。まるでシファカと握手をしたかのような光景は感動と感激の一瞬だ。ひんやりとしたシファカの手の感触が忘れられない。



10月1日午後、相馬さんやアリソンジョリー博士夫妻に別れを告げてベレンティーを後にし、フォートドーファンの町に移動した。2時間半の4輪駆動車での移動の間、ドライバーとは言葉が通じないため会話が出来ず、二人とも黙ったまま過ごした。

フォートドーファンのホテル Hotel le Dauphinに着くと、顔見知りのお姉さん達が愛想よく私を迎えてくれた。私の部屋は54号室で少し離れている部屋だった。いつもならスイートルームの広くて素晴らしい部屋を与えてくれるのだが今回は別の場所に別館がありそこの部屋だった。着いてみるとまだ工事中でほんの5〜6部屋しか工事が完了していなくて、ひどい状態だったが部屋は新しくてきれいだった。

久しぶりのバスタブでお湯を張った風呂に浸かり疲れをいやした。夕陽も落ち辺りが暗くなった頃突然停電となった。すぐに回復するだろうと思って待っていたがなかなか明るくはならなかった。
夕食時でもあるので懐中電灯を持ちホテルのレストランに移動したが辺り一面真っ暗でレストランはロウソクをつけて営業をしていた。牛肉と魚のメニューであったので魚を選んだら暫くしてアジが2尾カリカリのフライとなって出てきた。それでも私はおいしく感じながら頂いた。
停電はづっと続き部屋に帰ってもすることがないのですぐに寝た。夜中にふと気がつくと部家の電気が煌々とつきまぶしいので目が覚めた。夜中2時半であった。

10月2日午後、最南端の町から飛行機でモロンダバ(Morondava)に移動した。空港で明日からガイドをしてくれるミッチェルさんが待っていた。彼とは初めてなのだが、なかなかしっかりとしていて安心できそうな人物だ。
ホテルまでの移動の間、明日は何時に出発するのか聞いたら朝の9時頃にしたいという。何故そんなに遅いのかと聞くと、このモロンダバ一帯のガソリンスタンドに燃料が全くなく車が走らせられないのだという。
参ったなーと頭を抱えるしかない。
このモロンダバはバオバブの並木道で有名なところであるが、私はバオバブの撮影に来たのではない。バオバブは5年前に既に撮影済みで、今回ここに来た目的は、ここから車で約200km先に世界遺産にも指定されているツンギーというとても尖った岩山があり、そこに私の目指すシファカが棲んでいるのだ。
片道200kmでもその行程は酷い道で7〜8時間を要する悪路なのだ。それでも以前から比べれば大分よくなったそうだ。数年前までは15時間くらい掛かる道であったとのこと。
この町を出たら燃料など得られることはないので燃料を待っての出発となった。果たしていつ出発できる事やら。

10月3日(月)、週末の燃料配送がされないままになっていた為、モロンダバ周辺のガソリンスタンドで燃料が全くない状態になっていたが、月曜日にはタンクローリーが動き始めるとの噂に、燃料補給は必要な車が早朝から各ガソリンスタンドに長蛇の列をなしている。
私たちは配送センターから一番近いガソリンスタンドから配送されるだろうと予想し、そのガソリンスタンドで30番目くらいの位置で待っていた。しかし配送センターからはタンクローリーが動き出している情報にもかかわらず一行に燃料が来ない。
もしかして!とガイドが機転を利かせドライバーにタクシーで空港近くの別のガソリンスタンドに偵察に行かせた。暫くするとそのドライバーから携帯にお電話が入り、空港近くのガソリンスタンドにやはりタンクローリーは燃料を補給している。まだあまり沢山の車は待機していないとの情報ですぐに車を移動させることにした。他の車はまだ気がついていなくてそのまま待っている。

 
燃料の補給を待つ車の列

空港近くのガソリンスタンドに行くと既に10数台の車が待っていた。どの車も燃料が殆ど無い模様で満タンにするのずいぶん時間が掛かり、おまけに大きなスペアータンクにもいっぱい詰めるためとても時間が掛かる。

およそ1時間半ほど待ち、我々の車も燃料を補給できた。予備タンクにも十分補給したので安心してこれから走向できる。

午前10時過ぎ、やっと出発した我々の車は、おろしたての日産のトラックをバンに改良したもの。もちろん4輪駆動車で快適に走ってくれた。

約1時間でバオバブの並木道を通過し、そこから最初の川渡りまでの間がとても遠い。道は想像していたよりはずっといい道で快適に走ることが出来た。12時半に最初の川渡りのポイントに着いた。今は乾期で水も少なく川幅が狭いが雨が降り始めると川幅が何倍にも広がり水量も多く川を渡ることが出来なくなる。
3艘の船を木で固定しただけのフェリイーボートに6台の車を乗せて川を越えるのだがフェリイーが到着する場所はおよそ4kmの下流で渡りきるまでに1時間半を要した。

筏フェリーで車を対岸まで運ぶ
私たちの車が川を渡るために簡易フェリーに載るところ。

昼食も取らずにすぐ走り出し、また3時間走った午後5時に2番目の川にさしかかった。ここでも同じような作りのフェリーに車を乗せ川を渡るが距離はおよそ80mくらいの狭い川。このフェリーにはエンジンが付いていなくて3〜4人の若者が手漕ぎで対岸に渡してくれた。

 
落ち着いたコテージは中も広く涼しい
私の太ももの肉にかみついた割れた便座

目指すBekopaka村のHotel Relais du Tsingyはそこからすぐの場所であった。

従業員達とは言葉が通じないため、なかなか細かいやりとりが出来ないが、それでも感覚的になれているのでドライバーとガイドを除けば全くの一人旅だがそんなに不自由はしない。
到着後、部屋に案内されたらワラぶき屋根のコテージで、中には部屋が3つ有りベットが6個もある大きな部屋だった。

長旅で疲れ、トイレに行きたくなったため荷物をそのままに用を達しにトイレに行った。どこへ行っても大抵の所は水洗トイレで清潔なのは助かる。

便座を降ろして用を達し、スッキリしたところで立ち上がろうとした時、太ももに激痛が走り悲鳴を上げた。
立ち上がろうとした私と一緒に便座が持ち上がって居るではないか。
よく見ると便座の丁度太ももが当たる辺りが割れており、座る前は気がつかなかったが、座った圧力で割れ目が開き、そこに私の太ももの肉が挟まってしまい、立ち上がろうとしたら便座の割れ目が私の太ももの肉に食いついてしまったのだ。おまけに痛くて急に立ち上がろうとしたら私の太ももに食いついたままの便座も一緒について来て激痛を増幅させて居たのだ。
到着し、いきなりの悲鳴にホテルの女性の従業員が慌てて見に来たが、言葉が通じないので事情を身振り手振りで説明し、便座に食いつかれた私の太ももを見せると血が出ていた。従業員は半分笑いながら私の説明を聞いていた。

女性従業員はすぐに別のコテージに変えてくれたが、それはビックリする出来事で今でもその痛さを思い出す。
モロンダバを出て198kmの走向に約7時間の時間を掛けてやっと到着したこの場所は、今回のメインの目的のディケニーシファカ(Decken's Sifaka)が見られる場所だ。 

撮影中の浅尾省五 私はいつも撮影には一脚を使用する。手持ちはぶれるし疲れる、また三脚は森の中や足場の悪いところでは設定に手間取り野生動物は、もたもたしているとすぐに逃げていく。その点一脚はとても便利だが手を離せない難点もある。

地形の不慣れなところや森の中などで一人で一生懸命撮影していると迷子になる事があるので私は必ず高性能GPSを肩に掛けて撮影する。(肩の赤い物がGPS)
いつも自分の居る場所が分かり迷子防止と写真とは別に撮影地データが逐次取れるメリットがありとても重宝している。

マダガスカルに9種類いるシファカの内、8種類を既に撮影している私は、このディケニーシファカを撮影すると全てのシファカを撮影したことになる。世界中のどの写真家もなし得なかったことが間近になってきた。


10月4日、いよいよ念願の9種類目のディケニーシファカの撮影にスタートした。世界遺産の尖った巨大な岩山ツインギィー(Tsingy)を管理する事務所に行き、ガイドを一人お願いした。

このツィンギーは大ツィンギーと小ツィンギーがある。Bekopaka村の近くは小ツィンギーで壮大なスケールの尖った岩山は見られないが、大ツィンギーのあるBemarahaには広大な地域にものすごい規模も尖った岩山が見ることが出来る。ユネスコの世界遺産に指定されただけのすごいものだ。ガイドに聞くと、ここ数日間大ツィンギーの方でディケニーシファカの群れがよく見られると言うのでそちらに向かった。Bemarahaまでは距離で20kmだが1時間が掛かかり9時に到着した。とてもいい天気で強烈な暑さだ。

ディケニーシファカ 
このシファカの撮影で全てのシファカを撮影出来た。

到着してすぐに遠くの森の樹上に数匹のシファカを発見した。ついに見れた。早速カメラ機材を準備し森に入った。しかし森の中はものすごく尖った岩山でなかなか思うように移動できずディケニーシファカに近づくことが難しい。苦労をしながら近づいても森の木々の枝が邪魔をしてなかなかきれいな写真が撮れなかったが約1時間ほど追跡したとき私のすぐ近くまで降りてきてくれたためやっときれいに撮影することが出来た。最初にシファカの撮影をしてから6年間が過ぎていた。
これまで誰もなし得なかった全てのシファカの写真を私の手で撮影することが出来た。

ツインギーの山を登る浅尾省五 
もの凄い絶壁を登るのも注意しながら登らないと
滑ったり転んだりすると大けがをする。
ツインギーのとがった岩山
ツインギーの尖った岩山はまるで刃物を並べた様な光景だ

Jumping Rat
洞窟の中で偶然に見つけた珍しい Jumping Rat

少し心の余裕も出来、大ツィンギーのパノラマ展望台のあるところまで行くことにした。

険しい岩の間を縫い深く割れた岩のある洞窟を通り抜けると、そこからはまるでロッククライミングの世界になった。危険なため岩にワイヤーロープが固定されそこにカラビナを引っかけてのとても急で危険な岩山登りだ。およそ20mを登ると岩山の頂上に木の枠で囲っただけの展望台があった。危険な目をしてまでも、ここまで来た価値のある光景が目の前に蒼然と広がっている。

太古の昔から長い時間を掛け雨に削られ、まるで槍の先のように尖った岩山が延々と続いているこの場所で、滑ったり転んだりしたら、どんな事になるだろうか想像するだけで身震いがする。

ディケニーシファカ 

二日間に渡ったディケニーシファカ撮影は想像以上にうまくいった。

うまくいかない場合を想定してあと二日は予備の日程を考えていたがそれを使う必要もなくモロンダバの町とBekopaka村のほぼ中間にあるキリンディー(Kirindy)で撮影することにし、移動した。


朝7時半にBekopaka村を出て二つの川を再び渡り途中の村のレストランで昼食を取ったのでキリンディーに着いたのは午後の2時半だった。すぐにバンガローに入れるかと思ったら予約済みであるはずのバンガローがナチュラリスト達のセミナーのため満員で私のバンガローは無いとのこと。ガイドに予約のことを確認したがちゃんと予約し確認済みだとのことだが、結局バンガローは与えられず、急遽テントで寝ることにした。

Fork Marked Lemur 
Fork Marked Lemurを初めて見る事が出来た

キリンディー保護区は私設の保護区で主に研究者がここで研究をしている為、殆どの動物には首輪や発信器が取り付けられ写真にはならないが、夜行性の珍しい動物が見られるため予備の二日間をここで過ごすことにした。

ここの森は平らで歩きやすいが、とても広くてほんの一部分しか見て回ることが出来ない上、動物も少なく、やっと見つけた動物には研究用の首輪や無線の発信器が取り付けてあり、やっと撮影しても写真にはならず、結果は散々であった。

二晩目もナイトウォッチを行ったが全くダメな結果であった。


翌朝3時半に起床し、ロッジを4時に出発しバオバブの並木道で日の出を撮影することにした。
キリンディーから約1時間でバオバブの並木道に到着し日の出を待った。

いつも持ち歩くGPSで日の出時間を確認したら5時38分なので、それまでにいい場所を確保して日の出を待った。

夕焼けのバオバブの並木道
バオバブの並木道の朝焼けは神秘的で壮大な風景だ

朝霧の中のバオバブの並木道 
日の出直後にバオバブの並木道は濃い霧で覆われた

バオバブの並木道の朝焼けと日の出はとても綺麗であった。
おまけに珍しい現象が起きた。日が出た直後からバオバブの頂上がみんなガスに覆われ始め、暫くすると辺り一面霧で覆われ幻想的な光景となった。

霧の中、原住民達が活動を開始し村人が並木道を歩く光景や牛車が通過する光景も見られるようになった。



朝7時半、撮影は終了しモロンダバのホテルに移動した。ここでは何もすることが無く、久しぶりにお湯の出るシャワーで体を流し、爆睡してこれまでの疲れを癒した。

巨大なロブスター 
3Kgを越える巨大なロブスターが私の胃袋へ入った

宿泊しているホテルの食事はあまりいただけないので、近くにある別のホテルのレストランBaobab Cafeで食事をすることにした。

ここでは取れたてのロブスターが超低価格で食べることが出来る。
私がオーダーしたロブスター1匹が3Kgであった。それは食べ応えのある量と味。その値段だが1kgあたり日本円で500円で私の食べたロブスターは1500円!

この度最後の贅沢を味わい、今回の撮影旅行は終了。
10月9日、アンタナナリボに1泊して帰国の途につく。